トランポリンの東京オリンピック代表に内定した堺亮介選手。
そんな堺選手の出身中学や高校、大学はどこなのでしょうか。
そして、堺選手の偉業を支えた家族はどんな人達なのか、紹介していきます。
堺亮介の出身中学は?
堺亮介選手の出身中学は、神奈川県の伊勢原市にある山王中学校です。
校区は、伊勢原市の北西部にある大山から流れ出ている鈴川によってできた扇状地にあります。
北は厚木市、西は秦野市と接しています。
学校は商業地域からは離れており、水田や果樹園などが散在している、自然に溢れた場所です。
付近には企業や大学の研究施設や福祉施設があり、落ち着いた土地と言えます。
自然との結びつき強く、県の緑化金賞を受賞したこともあります。
また、大山阿夫利神社、三ノ宮比々多神社など多くの史跡があり、歴史と文化の豊かな地域です。
学校は、600人前後の生徒数で各学年6クラスで構成されています。
部活動や生徒の活動は熱心な中学校です。
特に駅伝では何度も県大会で優勝をしており、全国大会に出場し、上位に位置したこともあります。
ただ学校にはトランポリン部は存在しないため、堺亮介は学校外で活動していました。
なお、堺亮介選手が卒業した2012年には50周年を迎えました。
堺亮介の出身高校は?
堺亮介選手の出身高校は、石川県金沢市にある私立高校、星稜高等学校です。
野球部やサッカー部が、全国大会出場や数多くのプロ選手を輩出しており、非常に有名な学校です。
野球の松井秀喜、サッカーの本田圭佑の母校として知っている方も多いのではないでしょうか。
しかし、神奈川県出身の堺亮介選手がなぜ石川県の高校に進学したのでしょうか。
それは、星稜高校がトランポリンの強豪校だからです。
1962年に創部したトランポリン部は、2007年に初めての全国大会優勝を果たして以降、何度も優勝を果たしています。
堺亮介選手が在校していた2013年から2015年までは団体三連覇を果たしています。
また、陸上競技、スキーなどの競技でも、石川県でトップクラスの実績を上げています。
部活動だけではなく学業にも力を入れており、国立大学を始め、MARCHなどの難関私立大学の合格者も多いです。
『誠実にして社会に役立つ人間の育成』という建学の精神にあるように、生徒育成に熱心な事がうかがえます。
堺亮介の出身大学は
堺亮介選手の出身大学は、石川県金沢市にある私立大学、金沢星稜大学です。
堺選手の母校、星稜高校と同じ学校法人に寄って運営されている系列大学となります。
そのため、堺選手の同級生で、同じようにトランポリンに青春を打ち込んでいる学生も多いです。
その一人として、トランポリンのリオデジャネイロ五輪代表選手である中野蘭菜選手がいます。
堺亮介選手とは星稜高校時代からの同級生で、一足先にオリンピック代表になりました。
学位授与式
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卒業しました。
4年間毎年大会や合宿で3分の1は欠席しなければいけない中で、帰ってきたときにみんなが笑って迎えてくれる金沢星稜大学が大好きです。
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みんなと出会えて良かった。
4年間ありがとう。 pic.twitter.com/AYQ00vlQcw— 堺 亮介 (@ryo_jump0724) March 14, 2020
中野選手に限らず、堺選手と共に日本代表選考の大会に出た安藤諒選手や、宮野冬馬選手もいます。
堺選手は大学入学後、ワールドカップでの金メダル獲得や全日本選手権での優勝をしました。
堺選手にとってこの大学は切磋琢磨することで、自分の技術を磨ける場所となっています。
起源は1932年に創設された北陸明正珠算簿記専修学校です。
そして、1967年に経済学部のみの単科大学である金沢経済大学として開学しました。
現在の名称である金沢星稜大学に改称されたのは、2002年4月です。
トランポリンに限らず、陸上競技部などは日本代表コーチ経験等を持つスタッフにより指導が行われています。
そのため、全国レベルの実績を残す部も少なくありません。
また、就職サポートも徹底しており、90%を超える就職率を誇っています。
学生にとって、金沢星稜大学は非常に魅力的な大学です。
堺亮介の家族はどう?
堺亮介選手の家族構成は父の俊也さん、母の敦子さん、兄の奎介さんの四人家族です。
実は、堺選手がトランポリンに目覚めたのは敦子さんのおかげでした。
生後半年の堺選手を連れてトランポリンのママさんサークルに入ったことがきっかけです。
最初は母に抱かれて飛び始めた堺選手が一人で飛ぶようになったのは一歳半。
大会に出場し始めたのは二歳の時でした。
敦子さんは、自分よりも技の覚えが良い堺選手の姿を見て、本格的に習わせようと思われたそうです。
それ以来、敦子さんが中心となって家族で堺選手を支えてきました。
しかし、中学校までは地元で活動してきた堺選手も、高校からは親元を離れ県外の進学しました。
入学式に参加した敦子さんは、笑顔で堺選手を送り出したものの帰りの車では寂しくて泣かれたそうです。
敦子さんは離れた場所で試合があっても、神奈川県から毎試合駆けつけていました。
そして、全ての試合を録画して、記録したDVDを堺選手に渡しています。
それは堺選手にとって日課にもなっている、自分の演技分析に多いに役立っているようです。
そんな敦子さんに2015年、高校三年生の時堺選手は素敵な贈り物をしました。
それはインターハイの個人優勝した時のメダルを、敦子さんの誕生日プレゼントにされたそうです。
夏に誕生日を迎える敦子さんにとってかけがえのない思い出になりました。
また、オリンピック代表に決まった際、堺選手は両親への感謝の言葉を述べられていました。
このように堺選手のオリンピック代表までの道のりには、家族の支えが大きかったのです。
堺亮介 (トランポリン)の出身中学高校大学はどこ?家族まで徹底紹介まとめ
堺亮介選手は、神奈川県の伊勢原市の山王中学校で中学時代を過ごしました。
そして親元を離れ、遠く石川県の金沢市にある星稜高等学校へと進学していきました。
そして、ここでトランポリンの全国レベルの選手へと成長しました。
そのまま同じ系列校である金沢星稜大学へと進学した堺選手。
日本を代表する世界レベルのトランポリン選手へと羽ばたいたのです。
その成長の影には両親とお兄さんの支えがありました。
特に母親の敦子さんは全試合ビデオ撮影するなど、演技分析のサポートも行っていました。
このようにして堺選手は一歩一歩世界に向けて進んできました。
2020年の夏、東京オリンピックでメダルを是非獲得して欲しいですね。
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